心と体の限界

最近は日々が消化試合だ。

いつ終わることもない悪夢の中で、ただ無下に生きている。

何が幸せかを問われてもわからない。

父親の死は、自分の心を大きくむしばんだ。

生きている意味が見いだせない。

死ぬ勇気もない。死んだら悲しむ人がいることをよくわかっている。

けれど、生きることがつらい。

嫌な思いばかりした人生あったけれど、どれも我慢ができたし立ち直ることが出来た。

 

でも、こればっかりは、いつになっても克服できるようにおもえない。「親の死」というのが酷く大きな事柄だった。

最近は何をしても、何を見ても感動が薄い。

感情が平坦だ。起伏がない。

ただ、目前の今の最悪の状況を俯瞰して見ている。

 

何がしたいとかも、特にない。

生きている、息をしているというのだけで精一杯で特に希望もない。

何をしたいとかが特にない。

ただ、日々が辛い。

もう先もないかもしれない。自分はもうここで終わりかもしれないな、とぼんやり考えている。

困ったことに、願望もなくなってしまった。

何が幸せなのかもわからない。

あるとしたら、ずっと寝ていたいかな

父の死

父の日が来る。だけど、今はお店に並ぶ「父の日」と書かれたポップ等を見たくない。

父は死んだ。人にあまり話す気になれないので、こうやってブログにすることにした。

 

父が亡くなって5ヶ月が経った。月日はあっという間だけど、自分の心は父が亡くなったあの日から、きっと時間が経過していない。

身体だけが毎日を生きている。身体だけが息をすることで精一杯だ。

 

父の亡骸を霊安室で見た光景が忘れられない。必死に手を握った。必死にまだ生きているかもしれないと縋り付いた。

ICUに入って人工呼吸器を繋げて必死に生きてくれた父を忘れない。

 

仲は良かったとは言えない。自分が陸上部の都の大会で入賞したときも「なぜ1位になれなかったのか考えろ」と言われたし、必死に大学受験の勉強をしても「お前はいい大学に入れない」なんて言う人だった。

私はいつも悔しくて、そのようなことを言われるたびに泣いていた。

認められたかったのだろう。

 

就職したときも「お前は就職に失敗した」と言われた。自分なりに決めた道だったけれど、やっぱり、そういう風に言われた。

「この、くそオヤジ」と思ったし、こんな人大嫌いだと思った。

 

けれど、いざこうして父親がいなくなると「とても悲しい」のだ。

喪失感。虚無感。生きていても仕方がないといった鬱々とした気持ち。

 

核家族核家族なので、もう私、母親、認知症の祖父しか近しい家族はない。

母も身体が不自由だから、今後が心配だ。

私も父親に「就職に失敗した」言われた会社を、モラルハラスメントセクシャルハラスメント受け身体を壊して辞めた。

大学は卒業したばかりで、新卒になった途端に大卒フリーターになってしまった。

先のことは考えたくない。

何もしたくない。

今日は死んでもいいんじゃないか、なんてふと思ってしまった。

心がつんざくように痛かった。

 

大学の同期に会った。みんな社会人が少し板についてきて、立派に見えた。自分はとてつもなく卑しい人間で価値がないように思えた。

帰ってから涙が止まらなかった。

自分が情けなくて仕方ない

今はもう本当に何もしたくない

どうにもならなことが多すぎた。

 

今はでも、そんな気持ちを時分で大事にしながら、ゆっくり生きていこうと思っている